2011.12.26 14:43|
映画「サンシャイン・クリーニング」で特殊清掃などと呼ばれる職種があるのを知ったのは初めてでしたが、自殺した人や分けありで亡くなった人の後に一定期間住み続け(ロンダリング)、次に部屋を借りる人が分からないようにする仕事があるのも知りました。

(※不動産賃貸においては、仲介業者には、自殺、他殺、変死などのあった事故物件はその旨を借り手に説明する義務がある。しかし、事件後1回でも入居実績があれば、説明義務は無くなるらしい)
 
主人公のりさ子もわけあって離婚。戻るべき家やお金がなく、手っ取り早く事故物件に住む仕事を選びます。転々と部屋をロンダリング(浄化)しながら孤独で無気力な毎日を過ごしますが、移り住んだ谷中の乙女アパートで出会った料理屋店主の亮や家主の真鍋夫人との出会いで、自分を取り戻していきます。
 
ちょうど読んでいる最中に、ラジオ番組で紹介された投書に現実にもあるのだとびっくりしてしまいました。東京で自死した息子が亡くなった傷も癒えぬ間に、不動産業者から慰謝料を家主に払って欲しいという通達が実家に来たという内容でした。
事実は小説より奇なり。
以前、途中まで読みかけた「源氏物語」にも、源氏が物語を論じている場面がありました。物語とは「日本紀」などとは違って事実ではない作り話に過ぎないが、却って事実としては現れない「真実」を描いていることもあるのだと、源氏が玉鬘に言って聞かせる場面です。
 
まるで不登校を繰り返す生徒に教師が促しているようにも聞える、雇い主の相場が慣れないりさ子にアドバイスした言葉が印象に残ります。
「いつもにこやかに愛想よく、でも深入りはせず、礼儀正しく、清潔で、目立たぬように。そうしていれば絶対に嫌われない」
厭味な忠告ですが、今の世情では残念ながら的を得ているともいえます。
真鍋夫人は魅力ある人生の先輩にも思えました。
2011.12.14 15:30|
レビューは書きたいのだが、そのために費やする時間があったら違う映画や本を読む時間に充てたいのも本当のところ。「ミツバチのささやき」を観てから今日まで「東京ロンダリング」と「小さいおうち」「萩を揺らす雨」を読んでいる。とても良かったのに数日前に観た映画の印象が薄れていくのが残念でしかたない。
あれもこれもと考えずに、とりあえずまず記録することから~。
 

 
気を取り直して書き始めます。
ポスターに写っている主人公アナの澄んだ大きな目が忘れられません。まるで私を見つめているような不思議な魅力にとらわれ、背景が不可解で難解だった箇所があったにもかかわらず、どうなるのだろうと結末を思い観終えてしまいました。スペイン内乱が背景にあり、両親は地が足に着いていないような現実感に乏しい生活を送っているようにも見えます。アナには3つ年上の姉イザベラがいて、姉の目を通して世界をみているような妹です。
ある日、巡回でまわってきた映画「フランケンシュタイン」を姉妹で観て、アナは分からない箇所を姉に訊ねます。
「フランケンシュタインは本当に少女を殺したの?」「怪物もあの女の子も殺されていないわ。映画のなかの出来事は全部嘘だから」と姉。アナが「怪物はいたわ、手も足もあったわ」と応えます。「あれは精霊なのよ。私は見たことあるわ。昼間は見えなくて、夜にだけ見えるの。目を閉じて呼び掛ければ、現れるのよ。友達になれば、いつでもお話できるわ。目を閉じて『私はアナ』と呼びかければ会える」と、姉のイザベラに諭され アナは信じます。さらに怪物は生きていて村外れの一軒家に住んでいると聞き、アナはその家に向かうのでした。そして、その家で負傷兵と出会う・・・。
 
一つ一つのシーンが絵画のように美しく、アナが子供の目で世界をとらえている姿が瑞々しく描かれていました。また一方ではスペインがフランコ独裁政権となり、社会的には不安定な状況となり暗い影を落としている様子も伺えます。書斎にこもってミツバチの研究をしている父親、誰に宛てているのだろうか?母親は手紙を書くのに余念がない。ランプの光りで照らされたガラス箱の中のミツバチたちは、たぶんスペイン内乱で混乱に陥っている庶民を象徴しているのでしょう。
主役を演じたアナ・トレントは、小学校の校庭でぽつんと立っていたところをビクトル・エリセ監督に見出されたとか・・・。分かる気がします。
 
1973年作スペイン映画 
 
 
2011.12.13 13:29|
原作者である歴史学者の磯田道史が書いている(竜馬伝ではなく)「龍馬史」が、他の著者らによって描かれているのより、事実に基づいて龍馬を書いてあるのにずっと好感を持っていました。この「武士の家計簿」も原作が磯田道史と知っていたのでいつかは観ようとは思っていた映画でした。
映画は猪山家の親子三世代を淡々としたタッチで撮り進んでいきます。淡々としたシネマは好きで、観終った後も気持ちが穏やかなのですが、今回は淡々としているからこそ却って人生のはかなさと哀切を感じてしまいました。人生が短いのは自明の理ですが、ここまで短い一本の映画で撮られるとなると、寂しさの方が先に立つのは拭えません。
息子の成之(伊藤祐輝)が、晩年の直之(境雅人)を負ぶい「自分は父に負ぶわれた経験がない」と言うシーンがあります。厳しく彼を教育する父でしたが、彼は着袴の祝いなどで負ぶわれていました。母であり妻のお駒が(仲間由紀恵)応えます。「何回も負ぶわれていたのよ、でも子供は覚えていないものなの・・・」じーんと胸を打たれます。親はいつも片想いなのです。気づいた時は遅く、そしてその子もまた子供たちに片想いを味わうものなのでしょうか。
 

 
後半はペーソスで締められましたが、前半は両親役を演じた中村雅俊や松坂慶子草笛光子などの多彩な顔ぶれでユーモア溢れる演出となっています。猪山家は御算用者(会計処理の専門家)として、代々加賀藩の財政に関わってきました。八代目にあたる直之(堺雅人)は、生来の天才的な数学感覚もあって働きを認められ、めきめきと頭角をあらわします。城の御算用侍が算盤をはじいている姿や弁当を食べるシーンなどは当世のサラリーマンそのもので昼休みの風景と重なるようでした。直之は一家の借金が膨らんでいることに気づくと、家財道具を売り払って返済、詳細な家計簿をつけ始めます。実際貧窮し武士の身分を売った武士もいます。龍馬の実家は武士の身分を買って武士になりました。武士は食わねど高楊枝の時代に、息子の成之に算盤、修身、読み方などと自ら教育していくのは先見の明があります。結果的に成之は新政府になり大村益次郎(?)に買われたのですから、彼の教育は間違っていなかったのでしょう。人になんと思われても、独自なやり方でやりとげる直之は、ある意味で武士らしい武士ともいえます。剣あっての侍でなく、算盤 に長じ才を認められた武士は異色でしょうがなきにしも在らず・・・です。
激動の幕末を、剣ではなくそろばん一本で生き抜いた猪山家の団結と家族の絆はあっぱれです。
最近知ったのですが、絵馬は願い事を書くのだけでなく、和算を用いる難解な問題や解答などを書いてあるものもあるとか・・・。東北地方に和算絵馬が多いのはこの映画からも伺えます。
大島ミチルの音楽が時代が変遷するそれぞれのシーンを盛り立てていると感じます。 森田芳光監督の作品では間宮兄弟(2006)  サウスバウンド(2007 )が好きでした。
2011.12.07 09:37|
 
ひぇ~っまいった、まいった!さすがに映画史上語り継がれる名画でした。制作は1957年ー、今から60年足らず前に、現代にも通用する素晴らしい映画が創られていただなんて驚きます。さすがにシドニー・ルメットです。チョイスする時にモノクロについていけるかなどの不安を忘れ、冒頭からぐいぐい引き込まれました。観終った後、彼らのワイシャツの脇や首まわりに浮き出た黒い汗染みが、暑さを表すには、寧ろモノクロの方がいっそう効果的だったのでははないだろうかとさえ思った私。
 

裁判シーンから始まるのだろうとの予想を完全に裏切られ、裁判が終ったシーンから入ったのが意外で新鮮でした。裁判を傍聴していなくても、12人の陪審員達が協議する中で事件のあらましが浮き彫りになってきます。それは、まるで読書しているような感覚で、無能な弁護士や、複数の証人らの人となりまでがしだいに立ち上がってきました。原作を読んでいないので分かりませんが、心憎い演出だと感嘆しました。もし、裁判シーンで証人たちを実際に見るような撮り方だったら、私は見過ごしてしまったかもしれません。
それに比べ音楽には多少がっかり。映画の内容が現代にもそのまま通用するほどだっただけに、のんびりとしたバック音楽には違和感を感じざるをえませんでした。でも、音楽も時代を充分に表すものでしょう。時代がかった音楽だからこそ当時を振り返ることもできそうです。
大震災などの大きな問題があり、最近は取り立たされなくなりましたが、日本は裁判員制度が取り入れられてまだ日が浅い。映画の頃、アメリカではすでに陪審員制度があり、やはり問題提起されることがあったのだろうと伺えます。裁判員制度が導入される初年度、あれこれ論議を呼び、私も及び腰の意見でした。裁判員の責任は重く、決定によっては自分の人生にも影を落しそうなので避けて通りたいのが本音です。しかし、この映画を観れば安易に「NO」とは言えなくなってしまいます。
あらゆる視点から考慮しなければいけないのは必然かもしれません。
何故陪審員が12人という数になったのか私なりに考えてみました。独断と偏見ですが、キリストに随伴した12使徒からではないだろうか・・・。使徒はごく普通の人たちでした。12人の中には、漁師もいれば、取税人、そして革命家もいました。陪審員がさまざまな生育歴と職業を持った人がいたように12人も揃えば色んな考え方を持つ人らが選ばれて来るのでしょう。そこで協議された結果が正しい判決かどうかはともかく、導き出されるということでしょうか。ちなみに12人中、私が好感を持ったのは9号マカードルさんでした。弁舌爽やかに正論を並べる人より、素敵に年齢を重ねられたと思える誠実で愛嬌のある人柄に惹かれます。
 
本編はベルリン映画祭、金熊賞を受賞していますが、主演のヘンリー・フォンダは製作も勤め、配役もルメットとともに決めたと云うぐらいの熱の入れようです。
ルメット監督の他作品ではセルピコ、狼たちの午後、旅立ちの時印象に残っています。
 
今回もこの作品に出逢えたのは「ブログdeロードショー」のおかげでした選ばれなかったら、この名作を見逃してしまったかもしれません。映画ファンとしてはとても残念なことでした。
機会を与えてくださった方々に感謝いたします!
 

お断り    「しずくの水瓶」のしずくは「青山雨読ときどき映画」のbambooと同一人物です。今後ともよろしくお願いしま~す(^^♪
 
2011.12.03 12:07|

 
観ていて、ダンス音痴の私でも身体が自然にリズムを刻み、踊れそうな気にさせてもらえました。特にあのセクシーさはぞくぞくものでした。高校生の頃あれだけ異性の身体に触れたら却って~と思うのは、たぶん私が日本文化に育ったからでしょうね。心臓の動悸が激しくなってステップが怪しく(妖しく)なるかもしれません。 私は断然、相手のことを気にせずソロで踊る方が好きかな。
アントニオ・デンバラスが情熱をそそぎ、これほどダンスを貧しい地区の子供たちに教えるのかが私には今一つ伝わって来なかったのは残念でした。それでも彼が語るダンスの持つ哲学や教えは、素人の私には全く考えが及ばなかったことでした。きっと究めた人のみが知り得る奥義なのでしょう。
もっと彼の背景が描かれてたらとは思いますが、彼個人が浮き出てしまい生徒たちとのダンスを通してのレッスンではなくなってしまう懸念もあります。
(実話に基づく)実際、彼が教えたのは小学校だったということを知り納得がいきます。 小学生でやるなら犯罪等に走る子供を減らせる可能性が高くなり、もっと教育の効果が上がるでしょう。


 この映画の邦題は『レッスン!』ですが、原題は『TAKE THE LEAD』。
レッスンも悪くはないですが、『TAKE THE LEAD』が「リードを取れ」または「リードを奪え」という意味合いから、もっと近づけるような気もしないではないかと思ったりもしました。

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