--.--.-- --:--|スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2012.06.28 15:09|

 映画 かもめ食堂
 
高齢化が進んでいるマイタウンです。「かもめ食堂」を観て、前から温めているコミュニテイ・カフェに似た空間を2年後ぐらいには何とか実現したいと思わされました。七つ星のスタッフも手伝ってくれると云ってくれているから、週一から始めてみるのも良いのかもしれない。
人寂しい時サンダル履きで歩いて行け、そこへ行けば誰かに会える。
 
再、再、再、再見しました 。
いやぁ、やっぱり良かったです。
先日オンエアーされていたので録画していました。
数年ぶりかもしれません!!


陽水の白いカーネーションの挿入歌があったのもすっかり忘れていました。
片口はいりが「私が帰ることになっても、さちえさんは寂しくないのね」と拗ねるところが滅茶可愛いい!
もたいまさこのかばんにきのこがいっぱい詰まって戻ってきて、波止場を散歩中のおじさんから猫を預かり帰国できなくなってしまうとか好きな展開です。
ヘルシンキにあの食堂が現実にあるような気になります。
映画中にも登場したフィンランド女性。
かつて自殺大国として名をはせたフィンランドは、国家主導の「自殺予防プロジェクト」を発足させ何とか汚名返上を果たしました。 現在フィンランドは8位となり、日本は何と6位! そんな似たような状況がかもめ食堂を生み出して共感を呼ぶのかもしれません。
おにぎりは日本のソウルフードで誰かが握ってくれたもの、 コーヒーも自分ではなく人から淹れてもらったのが何より美味しいというセリフが 今回は素直に胸にすとんと落ちました。
ラストをさちえの「いらっしゃいませ」で閉じ、陽水の「クレイジーラブ」ががーんと流れるのはグレイト!

 映画 幸せへのキセキ

 三浦しをん著 舟を編む
 
のレビューはいつか!
 
 
 
 
スポンサーサイト
2012.06.26 14:24|
今朝新聞で知った詩人の塔和子さんの詩です。
 
何億の人がいようとも/かかわらなければ/路傍の人/私の胸の泉に/枯れ葉いちまいも落としてはくれない
最後のフレーズがとても心に沁みました。
 
 
胸の泉に
 
かかわらなければ
この愛しさを知るすべはなかった
この親しさは湧かなかった
この大らかな依存の安らいは得られなかった
この甘い思いや
さびしい思いも知らなかった
人はかかわることからさまざまな思いを知る
子は親とかかわり
親は子とかかわることによって
恋も友情も
かかわることから始まって
かかわったが故に起こる
幸や不幸を
積み重ねて大きくなり
くり返すことで磨かれ
そして人は
人の間で思いを削り思いをふくらませ
生を綴る
ああ
何億の人がいようとも
かかわらなければ路傍の人
私の胸の泉に
枯れ葉いちまいも
落としてはくれない   
 
塔さんは82歳でハンゼン病の療養所に暮らしていて高見順賞を受けています
 
2012.06.21 11:46|

タイトルの「恋するトマト」とはとても似つかわしくない中年男性が主人公だったが、演じるのが生真面目さとコミカルさを両方あわせ持つ大地康雄だから許してあげようかな。恋するトマトとは正男自身で、彼が恋して止まなかったのはクリスティナと忘れようにも忘れられなかった土のぬくもりだろう。
蓮の花咲く美しいフィリピンの農村風景をバックに、中年男性のかっこ悪く一途な恋に胸を打たれた。
正男がフィリピン人女性に結婚詐欺をされ、2百万円相当のお金まで彼女の家族に騙し取られた場面では気の毒で、この人はいったい立ち上がれるのだろうかと心底心配した。路頭に彷徨い、結局彼はやくざ紛いの“芸能プロダクション”に行きつく。芸能プロダクションと称しながら、フィリピン人女性を日本へ送ったり、日本からやって来る買春ツアーの中高年男性にフィリピン人女性を斡旋したりする仕事だった。実入りもいい仕事に違いないが、どこかに騙された仕返しをしている気持ちもなかっただろうか。彼は自分が騙された仕事をやる側にまわったのだから、正男の複雑な気持ちを思いやることができる。
子供のような若い娘を買う男も胸糞悪いが、承知で娘を売り物にする親も親だろう。しかし、正男がこの仕事を生業とした設定は、現実を捉え綺麗事に終わらせていないという意味で良かったと思う。正男はクリスティナにその仕事を言い出せないぐらい恥じていたし、真実を知らされた時クリスティナは彼を許せないと激しく拒否をした。その正反対のところに土と水と太陽の恵みで大地を耕す農業があったということだろう。
彼が稲穂の実る田んぼとそれを刈っている姿を見て、いても立ってもいられずに手伝うシーンには心揺さぶられました。
 
2012.06.20 16:23|

 釣りバカ日誌

 逃亡者
夫にお付き合いというか、2人で観られる無難な映画を録画していている中から鑑賞。「男はつらいよ」シリーズが無くなって後を受け継ぐような形で、次々に釣りバカ日誌も製作されています。寅さんとは格が違うと言いながらお付き合いで観ているうちに、しだいにほのぼの感にはまり楽しんでいたら、これも打ち切りとなってしまいました。つくづく私はノリが本当に悪いというか出遅れてしまう人だと思います。寅さんの魅力が分かるのもマドンナが浅丘ルリ子で共演した頃からだった。釣りバカを見始めるきっかけとなったのは、シリーズ9番目に故郷がロケ地となった理由からでした。といっても数本、テレビでオンエアーされた時に観ているぐらいですが・・・。地方ロケは旅行気分も味わえるし、気楽に笑って適度に楽しめて、家事をしながら観れる点が良いですね
 
逃亡者(再見)
 
 
ジェラード警部に追い詰められ、ハリソン・フォード扮するリチャード・キンブルがダムから飛び降りるシーンしか覚えていませんでした。劇場で観たから迫力が霞んでしまってもしようがないのかも。
私にはリチャード・キンブルはデビッド・ジャンセンしか考えられません。1964年から放映されていたテレビに家族全員が釘付けになって観ました。夜8時から始まるアメリカのドラマ「逃亡者」は本当に大イベントでした。人気となったのは彼の吹き替えをしていた睦五郎の声が素敵だったのもあります。テーマ曲が鳴り出すとぞくぞくしたものです。渋いナレーション(矢島正明)で始まり、どこまでも続く線路の上をデビット・ジャンセンがふらふらと歩いて逃亡を続けていくシーンは忘れられません。
妻殺しという無実の罪を着せられた外科医、犯人は片腕の男、彼を執拗に追いかけるジェラード警部。あれほど執念深く追いかけるからにはジェラード警部が犯人に違いないという説が流れたほど。母は「よかにせ(鹿児島弁でいえばイケメン)は得だね。ここぞというところで必ず惚れた女に助けてもらえるんだから」と、ため息混じりに話していたのを思い出しました。父はといえばキスシーンやベッドシーンに差し掛かると「子供が観るものではない」と、当時小学校3年生だった私と妹をテレビの前から追い払っていました。私だって落ち着かないし、目のやり場がないので、その前に察知し「勉強しなくっちや~」とわざと大きな声で立ち去ったものです。妹は不服そうに私の後をついて来ていましたね。
あの頃は「名犬ラッシー」などテレビドラマで触れるアメリカがとても頼もしく映りました。外国ではあんな風にパンやコーヒーを朝食で食べ、犬を居間にいれたり、男女が公道で抱き合ったりと自由な世界なんだと驚きながら画面を見ていました。
あの頃、あれほど遠い世界に映っていた外国がこれほど近くなり、行き来できる世の中になろうとは思いもしなかったよ~。
 
2012.06.13 16:41|
華やかなドレスのデザインからすると、
マリー・アントワネットが話題を集めていた同じ頃ではないだろうか。マリー・アントワネットほどではないが、隣国のイギリスにもデヴォンシャー公爵夫人なる女性が社交界をにぎわせていたのを知れて嬉しかった。映画は、その彼女の人生を子孫である故ダイアナ妃とだぶりながら描いてあるように思える。この一つ前に観た「遥か群集を離れて」もそうだが、一女性の生涯を追った作品は好きなジャンルだから、今回もついはまって観てしまった。
「公爵」という階級は貴族社会では最高位なので、伯爵家の長女だったジョージアナが嫁ぐのは超玉の輿だったということになる。
才気煥発とは云え、結婚当時ジョージアナは未だ17歳。デヴォンシャー公爵は年上に見受けられるし到底太刀打ちできる相手ではなかったのに・・・。結婚後ジョージアナは厳しい現実に直面する。公爵は特に愛情を示すこともなく、ただ「男子の後継者を生むこと」だけを彼女に望む。さらに愛人が産んだ幼い娘の世話をジョージアナに命じ、彼女が産んだ娘には何の興味も示そうとはしない。若い頃観ていたら、きっとこの男は何だと腹を立てただろう。でも、これだけの地位にあれば、後継者を生むことが優先されるのは(賛成している分けじゃない)当然のことのようにも思われる。シャーロット・ランプリング演じるジョージアナの母親だって、きっちり見抜いてこの縁談を進めたのだ。庶民の結婚も純粋に恋愛で結ばれることは難しかった時代だから、結婚に夢と理想を抱いていた10代の娘、ジョージアナのショックはさぞ深かっただろう。
 
私には、公爵との間柄よりも、夫を共有しながらエリザベスとジョージアナの不思議な友情の行く末が気がかりだった。社交界の華として人々の羨望を集めながらも孤独が募るジョージアナ。そんな時、彼女はエリザベスと出会い、友情を築くことで大きな心の慰めを得る。しかし、
代議士の演説にも鋭く切り返せる賢いジョージアナなのに、夫が彼女に興味をもっていると知りながら、どうして知り合って間もないエリザベスを自ら屋敷に住まわせてしまったのだろうか。お嬢様育ちだったから男女間のことに疎かったのかもしれないが、それだけにジョージアナの孤独が深かったのと、彼女を思う気持ちが強かったのだろう。
エリザベスは、子どもを取り戻すために公爵の力添えが必要だったし、取り返した後も住む家や庇護が必要だからデヴォンシャー公爵を受け入れるしかなかった。チャールズ・グレイとの恋を勧める場面は画策していたのではと勘ぐられるほど強かな一面も持っていた。ジョージアナとの友情の板ばさみになっていたのも本当だろう。そんなエリザベスが、ジョージアナがチャールズとの間の子供を産むために田舎に行く時、デヴォンシャー公爵に初めて「私はジョージアナに付き添います」と歯向かったのだ。子供と引き離される痛みを知り、また女の生涯を翻弄する男たちに憤慨し、恵まれたジョージアナに今までになかったほどの親しさを持ったのだろう。女同士の絆を強く感じ守ろうとしたエリザベスの真摯な気持ちが、終盤になってやっと伝わってきた。
ジョージアナは生まれた女の子にイライザと名づけている。(イライザはエリザベス  の短縮形)。二人の友情の証はジョージアナが死ぬ時にデヴォンシャー公爵の後妻にエリザベスを認めていることでも伺える。
愛憎が深くてもそこを超えれば強い連帯感が生まれるような気がした。
 そんな二人の女たちを霞ませるほどレイフ・ファインズの好演も光った。
 

 

 事実は小説よりも奇なり。
あれほど望まれて生まれた待望の息子のウィリアムは、6代目デヴォンシャー公爵とはなったけれど未婚のままで生涯を終え家系は断絶していました。 さてどうなったか。 7代目公爵位は5代目公爵の弟、初代バーリントン伯爵の孫息子へバトンタッチされていました。 ちなみにこの孫息子は、5代目公爵とジョージアナの長女とカーライル伯爵との娘を娶っていて、 8代目公爵、9代目公爵もその子供が継承しています。 結局長女がデヴォンシャー公爵家にとって大活躍したから何とも皮肉な話しです。  詳しくは下のサイトでご覧下さい
 
  

 紅茶の「アール・グレイ」は彼の名前から。
 
チャールズグレイは66歳でイギリスの首相となります。2人が出会った頃、彼は貴族ではなかったためジョージアナの母は目もくれなかった。しかしその後、彼の父親は男爵となり貴族の仲間入りを果たし伯爵となった。
ジョージアナの母に先見の明?あれば結ばれていたかもしれません!!!
彼はとっても紅茶好きでした。
05 | 2012/06 | 07
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
プロフィール

しずく

Author:しずく
「いらっしゃいませ」
映画や本などの気ままな感想を残す備忘録に!
コメント歓迎いたします

最新記事

検索フォーム

カテゴリ

最新コメント

月別アーカイブ

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。