松本侑子著「恋の蛍」 山崎富江と太宰治

2015.09.14 12:07|



つい先ごろの新聞に、太宰が当時芥川賞選考委員の一人で師弟関係にあった作家の佐藤春夫氏に、芥川賞授賞を懇願した手紙が見つかったという記事がありました。『走れメロス』以外は暗く、太宰の本はほとんど読んで来なかったのですが、精神的に不安定だったとは云え懇願する手紙を書いた彼が身近に思えるようになりました。
また、現在某テレビ局”100分de名著”で、高橋源一郎さんが太宰治の『斜陽』を解説しているのを聞き(彼の講義は解り易い)、以前に読んだ本を思い出し、他のブログに書いた記事を読みなおしました。

北村薫さんの最近の著作『太宰治の辞書』も興味深い。「本のための本」は大好きなジャンルなので是非読まなくちゃ!


太宰が水商売風の女性と玉川上水道で入水自殺をしたという私の勘違いも甚だしい。山崎富江さんは語学にも堪能なキャリア・ウーマンの美容師だった。しかも夫は三井物産に勤務する有能な男性で、婚礼後わずか10日でマニラへ単身赴任し、そこで彼は戦死を遂げている。彼女はうら若き未亡人でもあった。

彼女の父晴弘はお茶ノ水美容洋裁学校を創設し、これからの女性も仕事を持つべきだと自ら熱心に指導し、自分の娘富江にも技術を伝授している。富江さんは卒業後、美容学校で指導者となり、その後東京や鎌倉で腕の良い美容師として評判を取っていたのだ。
なぜその富江さんが女給まがいに(差別的ですが当時の新聞記事のまま)おとしめられて報道されたのかが、著者が富江さんの綴られた日記などを取材して執筆した。

読み終えて、富江さんの小説でありながら、本当の主人公は父親の晴弘だったように思えて仕方がない。
彼は他にも娘や息子を戦争でなくし、太宰を自殺にそそのかせた娘の父親として汚名を着せられ、その後の人生を歩んだ。津島家と美知子夫人に遠慮して墓に富江さんの名前が刻まれたのはだいぶ後になってからという

                                 2010、7、14記



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